【追悼’25】石破 茂が振り返る村山総理 「正直で誠実で…嫌いと言う人はいなかった」

村山富市
10月17日逝去 享年101

阪神・淡路大震災の発生2日後に現地入りし、被災者に寄り添った。「戦後50年談話」は現在も日本政府の公式な歴史見解となっている

誠実な人柄で政敵は一人もいなかった
石破 茂(政治家)

あれは阪神・淡路大震災が起きた時だわな。情報収集が難航し初動がもたついて、自衛隊の出動が遅れた。村山さんは実に正直な人で、「対応が遅れてすまなかった。朝早く初めてのことじゃったから」と国民に謝った。当時、私はまだ当選3回の野党の若手議員でした。出演したテレビ番組で「即刻、辞任しろ!」と噛(か)み付いた。するとその夜、議員宿舎に帰ってきたら留守電のランプがピコピコ光っとる。再生すると、

「総理大臣の村山です。あなたがけしからんと怒っていたけど、わしもそう思う。配慮が足りなかった。大変すまんかった」

とメッセージが入っていた。ビックリしたよ。時の総理大臣が生意気な若手にこんなことを言うなんて、「正直な人だな、なんていい人だ」と感じたわね。

政治家を40年やっているけど後にも先にもそんな総理に会ったことはない。永田町でも村山さんを嫌いと言う人はいなかった。総理になってからも飛行機はエコノミーで、料亭の料理より娘さんの手料理を好んで食べていたと聞きます。正直で誠実で朴訥(ぼくとつ)で裏表がない——。それが村山富市という人だったんでしょう。